御由緒
当社は仁徳天皇77年(西暦390年)に創建された、池田市内に現存する最古の神社であり、
古くは延長5年(927年)にまとめられた、当時の官社(国から捧げ物のあった神社)の一覧である
「延喜式神名帳」にも記載された由緒正しい神社です。
また当社の御祭神である「穴織大明神」については古くより「織姫伝説」として
広く知られる御由緒があります。
織姫伝説
応神天皇37年(西暦306年)、衣服・裁縫・織物の技術を求めた応神天皇は
東漢氏の祖である阿知使主(あちのおみ)、都加使主(つかぬし)の親子に命じて
当時その技術が大変優れているとされていた呉の国(現代の中国蘇州市周辺)に
技術者を迎えるように遣わしました。
使者を迎えた呉の国にてその願いは聞き入れられ、数多くの技術者の中から
裁縫の技術に優れた兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)と
機織の技術に優れた穴織(あやは)、呉織(くれは)の4人の織姫が選ばれて
日本にやってくる事となりました。
阿知使主一行と織姫達はその後、応神天皇41年(西暦310年)摂津国武庫浦
(現在の尼崎から西宮の一帯)に帰り着くものの、その地で応神天皇崩御の
知らせを受け、船をそのまま猪名の海に乗り入れ、猪名の港より上陸する。
この場所が現在当社の下の猪名川にある唐船渕と呼ばれる場所とされています。
その後仁徳天皇元年(西暦313年)仁徳天皇が即位され、阿知使主一族
及び織姫は仁徳天皇にお仕えすることとなり、猪名の港一帯(現在の池田市付近)
を領地として賜り、この地にて盛んに機織、裁縫の技術を広める事になります。
その後全国より、多くの人がこの地に集まり機織、裁縫の技術を教わり、また
それらの人々が全国にその技術を広めた事により全国に織物、裁縫が伝わることに
なりました。
仁徳天皇76年(西暦389年)、穴織姫は亡くなられ「姫室」に葬られますが
その翌年の仁徳天皇77年(西暦390年)に天皇の命により、その功績を称え
られ社を建て祀られることとなります。これより呉織の里(くれはのさと)と
呼ばれていたこの地を伊居太(いけだ)と改められ、社は秦上社伊居太神社
(はたかみのやしろ いけだじんじゃ)となります。
これが当社創建の由緒である「織姫伝説」です。
略歴
- 仁徳天皇77年(西暦390年) 秦上社 伊居太神社として創建される
- 延暦4年 (西暦785年) 桓武天皇の勅命により社殿を改造
応神天皇・仁徳天皇を相殿にお祀りする - 貞観2年 (西暦860年) 清和天皇勅諚にて社殿を修復
- 天禄2年 (西暦971年) 源満仲公(多田神社御祭神)により造営再興
- 正中2年 (西暦1325年)後醍醐天皇より「穴織大明神」の宸筆を賜る
「穴織宮伊居太神社」と名を改める - 暦応2年 (西暦1339年)足利尊氏公により社殿改造 神田を寄進される
- 天正6年 (西暦1578年)荒木村重の乱の兵火により焼失<
- 慶長9年 (西暦1604年)豊臣秀頼公により改築造営 境内に猪名津彦神社造営
- 文化14年(西暦1817年)小修理を行なう
- 文政2年 (西暦1819年)有栖川宮家の祈願所と定められる
- 明治20年(西暦1887年)特別保護建造物として内務省より保護資金を下賜さる
- 明治28年(西暦1895年)小補修工事を行なう
- 大正10年(西暦1921年)小修繕を行なう
- 昭和41年(西暦1966年)大修繕を行なう